中根隆行:五木寛之と四国遍路
五木寛之の「百寺巡礼」
五木寛之と四国遍路というのは、一見すると奇妙な組み合わせかもしれない。五木といえば小説現代新人賞受賞作「さらばモスクワ愚連隊」や直木賞受賞作「蒼ざめた馬を見よ」(以上、1966年)を始め、エッセイ集『風に吹かれて』(1968年)から『青春の門』(1970年-)の連作など、半世紀以上にわたって活躍するベストセラー作家である。また、仏教関連の著作、ことに浄土思想に強い関心を寄せる作家としても知られている。1990年代には『蓮如―われ深き淵より』や『蓮如物語』(以上、1995年)を書き、2010年以降では話題になった『親鸞』3部作(2010-2014年)を筆頭に、『はじめての親鸞』(2016年)や『私の親鸞―孤独に寄りそうひと』(2021年)といった著作もある。こうみると蓮如から親鸞へという流れだが、仏教に詳しくとも空海や四国遍路とは距離があると考えるのが普通だろう。
四国遍路との接点は、遍路ではなく、「百寺巡礼」という独特な巡礼のなかにある。古希を迎えた五木寛之は2003年から2年間、1ヵ月に20日以上をかけて全国各地の100ヶ所に及ぶ仏教寺院を巡り、『百寺巡礼』全10巻を刊行、テレビ朝日による紀行番組「五木寛之と百寺巡礼」も同時制作されている。このなかで善通寺と霊山寺を訪れた際に四国遍路のことが熱心に語られている。「四国八十八箇所の遍路にでるのも、たいへんな決心がいるわりには、はっきりとした動機はないのかもしれない。おそらく、実際にその旅の途上にある人たちは、目に見えない、ふしぎな力に導かれて旅立つのである」(「霊山寺」『百寺巡礼―四国・九州』、2005年)。その関心の中心は遍路という現象自体にあり、人々を遍路へと誘う「ふしぎな力」に向けられている。
遍路への眼差し
善通寺では空海の話題であったが、一番札所の霊山寺では遍路とは何かが問われている。遍路とは、人々が住み慣れた場所を離れて見知らぬ四国の地をさすらうこと。「ただ八十八ヵ所の聖地を巡拝して歩くということだけではなく、歴史のなかに生きている人間の根源的な願望や、社会のなかにおける人間の葛藤などが、そのなかに深く感じられてならなかった」と述べている。その意味合いは二つに大別される。「聖(ひじり)としてのひとつの修行」や「こころの安定を求めて」の旅であるか、あるいは「定住した社会のなかからはみだして、行き場のない人間が逃れる旅」や「社会のいろんな矛盾のなかで不自由さをかかえながら、どこかに自分の居場所を求めたい」という旅なのだろうと。この点、五木寛之の関心は、より後者に傾いている。
こうした遍路への眼差しは、当時が四国遍路のブームであったことに関係している。「遍路が増加するという現象は、この社会が生きづらくなり、心穏やかならぬ日々をすごす人が増えてきた、ということを反映しているのではあるまいか」。四国遍路だけではない。この時期はまた、瀬戸内寂聴や梅原猛らの著作とともに、1998年刊行の五木寛之『大河の一滴』がベストセラーを記録したことなどから、当時は仏教ブームと呼ばれた時期にあたる。加えて五木は、2004年に仏教伝道文化賞を受賞してもいる。つまり彼自身、この文化現象を牽引した立役者のひとりであった。
他力の風に吹かれて
それでは、遍路へとつながった五木寛之の仏教への関心は、どのような軌跡を描いてきたのか。彼は1980年に弟を亡くし、翌年から3年間休筆する。その間、京都にある浄土真宗系の龍谷大学の聴講生になり、本格的に仏教・仏教史を学んでいる。けれども、仏教に関心をもつ契機は1965年から5年間を過ごした金沢時代へと遡る。この頃、金沢大学附属図書館の「暁烏文庫」に通い、親鸞の悪人正機に出会って深い感銘を受けている。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(『歎異抄』)である。五木には他者を押し退けて生き残った「悪人」だという強い意識があった。彼は平壌第一中学校1年のときに敗戦を迎えた朝鮮引揚者であり、敗戦から引揚げまでの2年間に筆舌に尽くし難い出来事を経験している。ソ連兵による暴力や略奪、そして母の死、38度線の集団脱出、発疹チフスのパンデミック、日本人の母親に頼まれて朝鮮人に幼子を託す手伝いもしたという。その苛酷な日々について「私にとっての本当の戦争は、その夏に始まった」(「あの夏のデラシネ」『朝日新聞』2022年8月12日)と語っている。
こうした体験を経て作家になった五木寛之は、外地引揚派を自称しながら引揚者とは棄民にほかならないと主張し、「デラシネ」という根こぎの思想をブラッシュアップしていった。他方で、決して書くことができなかった母の死のことを、「百寺巡礼」の旅の前年となる2002年刊行の『運命の足音』で初めて綴ることになる。その文章では親鸞の「地獄は一定(いちじょう)」(『歎異抄』)が引かれている。「一定」とは確かなことを指す語だが、これを五木は「いまここにある地獄」ととらえる。自分は「悪人」であり、これまでもこれからも「地獄は一定」というわけである。このような認識を仏教はもたらし、ときに彼の情念を解きほぐしたのだろう。そして四国遍路との出会いである。人々を遍路に駆り立てる「ふしぎな力」に事寄せて、「百寺巡礼」の旅はこう表現されている。「見えない他力が私に命じて、私はその風に吹かれて寺を訪ね歩いているのだ」(「人生の旅遍路の旅」『人生へんろ―「いま」を生きる三〇の知恵』、2006年)。
*このウェブエッセイは、隔月『インタビュー』(2025年2月号〔vol.187〕、ナレーション編集・発行、2025年1月20日)に掲載された「四国遍路と世界の巡礼 第22話 五木寛之と四国遍路」を再録したものである。