中根隆行:戦後日本における遍路の記憶―『砂の器』の本浦父子像
松本清張の社会派推理小説『砂の器』は、1960年5月から計337回にわたって『読売新聞』夕刊に連載、単行本は73年までに166版を数えている。現在まで映画・ドラマ化も相次いでいる。東京の国鉄蒲田駅構内の操車場で起きた殺人事件を発端に、ズーズー弁と「カメダ」という言葉を手掛かりにして、若き音楽家である和賀英良(本浦秀夫)の犯行に警視庁の今西刑事らが迫るミステリーである。本浦秀夫は戦前、ハンセン病者の父・千代吉とともに故郷を追われ、遍路姿での流浪生活を余儀なくされた。その過去を隠蔽するために戸籍を捏造して和賀英良となる。その前に現れたのが、かつて島根の亀嵩で彼らを救った恩人の元巡査で被害者となる三木謙一である。私たちがよく知る『砂の器』の遍路姿の父子像は、高度経済成長期のプリズムを通した戦前における遍路姿の漂泊者のイメージである。
四国遍路は、ハンセン病者のみならず、故郷を追われた者や疾患病苦を抱えた者、生活困窮者などが歩く道でもあった。今日の一般的な遍路に対して、上原善広はこれを「辺土」と呼ぶ。「かつて「へんど」と呼ばれた遍路で生活している者のことだ。草遍路、乞食遍路、プロ遍路、職業遍路、生涯遍路とも呼ばれる」(『四国辺土』2021年)。四国遍路とハンセン病者については、高群逸枝『娘巡礼記』(1979年)や和田性海『聖跡を慕うて』(1951年)にも記述がみられる。前者は徳島那賀郡の農家で出会った一人遍路、後者は足摺岬へ向かう途中で出会った母子三人遍路であった。また、宮本常一『忘れられた日本人』(1960年)では「昔はカッタイ道だけを歩いても四国八十八カ所をまわることができた」という地元住民の話が記録されている。「カッタイ」は「癩」を指す古称、「へんど」は遍路する人を蔑む語であるが、ハンセン病者の遍路にも使われたという。以上については今野大輔、関根隆司らの論考に加えて、石井光太の小説『蛍の森』(2013年)に詳しい。
もとより、本浦父子の遍路旅は、石川・山中町から島根・亀嵩までであって四国ではないし、この遍路姿の父子像が知れ渡ったのは、松本清張の原作というよりも、そのアダプテーションである映画『砂の器』(1974年)の影響が大きい。原作で遍路の語が使われるのは一か所に過ぎない。「本浦千代吉は、発病以後、流浪の旅をつづけておりましたが、おそらく、これは自己の業病を治すために、信仰をかねて遍路姿で放浪していたことと考えられます」(『松本清張全集5』1971年)。他方、映画では、脚本家の橋本忍の発案で捜査会議の場面が改変され、原作にはない和賀英良のピアノ協奏曲「宿命」演奏のシーンと本浦父子の遍路旅のシーンが新たに加えられ、40分以上にわたるクロスカッティングに仕上げられている。この映画の有名なクライマックスである。
映画における遍路旅のロケーション撮影は、厳冬の津軽海峡、信州路の春、新緑の北関東、夏の山陰、そして秋の北海道阿寒に及び、移りゆく四季とともに父子が日本各地を経めぐる構成となっている。監督の野村芳太郎は、西国三十三所巡礼や四国遍路に比して、本浦父子の遍路旅は「全くでたらめ」だと断ったうえで、こう述べている。「然し此の映画に出て来る様な、いわば故郷を捨て末は旅路の果てに野たれ死をする様な巡礼の姿を、あの映画の様に鎮守の森の社の縁下に私も子供の頃見た様に思います。子供の乞食をからかって、その親の乞食が杖を振り上げて追って来た記憶はシナリオの橋本さんのものです」(「『砂の器』に見る巡礼の姿」1978年3月)。映像化された本浦父子像は「いわば此の様に作る私達の巡礼の記憶や夢の集大成」だというわけである。
この記憶のコラージュとしての遍路像は、映画『砂の器』の大ヒットによって、個人の曖昧な記憶の域を超え、社会的な記憶となって流通する。それを作家や制作者側にのみ帰すことはできない。そこには多くの人々の心情や願望を代弁した何かがあるからだ。内田隆三『国土論』(2002年)は、『砂の器』に加えて、水上勉『飢餓海峡』と森村誠一『人間の証明』を事例に挙げ、この時期の大衆的な人気を博したミステリーには、ある「説話」の反復が指摘できるという。過去から善意の訪問者がやって来る。それは家族かそれに類する人物である。だが、暗い過去を捨て成功者となった主人公は、その絆を断ち切るように訪問者を抹殺するというものである。『砂の器』では戦前、ハンセン病者の父とともに不当な差別を受けながらも遍路姿で流浪するほかなかった過去が重要となる。ピアノ協奏曲「宿命」とともにスクリーンに映し出される本浦父子像は、いわばそのようにあったであろう戦前の遍路の記憶として観客の脳裏に刻まれたのかもしれない。それでは、観客たちは、遍路姿の本浦父子の映像にどのような個々の心情や願望を仮託したのだろうか。
*このウェブエッセイは、「四国遍路と世界の巡礼~愛大研究センター通信~」(月刊「へんろ」の第464号、伊予鉄不動産株式会社、2022年11月1日)に掲載された文章を再録したものである。