西耕生:かなでよむべきやまとうた―平安期古典再読三題―
月を〝数えて〟よむ―古今和歌六帖に収める「三日月」の歌―
古事記上巻において、イザナキが禊(みそぎ)をして右の目を洗ったときに成れる神の名は「月讀」という。〝この「月読」の文字は「月齢を数える」意を表し、月の満ち欠けが暦のもとになっているので、きわめて人文神的である〟(新潮日本古典集成『古事記』「付録 神名の釈義」142)。時は下って、明治五年(1872)十一月九日、太陰暦を廃して太陽暦を採用するとの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布された。1年を365日とし、それを12月に分け、4年ごとに閏年をおくこと、1日を24時間とすること、および、旧暦(太陰暦)の明治五年十二月三日を新暦(太陽暦)の明治六年一月一日とすること、が定められた(国立公文書館デジタルアーカイブス「公文書に見る日本の歩み」参照)。現行カレンダーの使用はせいぜい百五十年を超えたばかり。日本においては近代の黎明期まで、太陰暦が用いられていた。
◇手を折りてあひ見しことをかぞふれば十と言ひつつ四つは経にけり〔伊勢物語十六段〕
連れ合いと共に過ごした四十年を「手(=指)を折り」数えるこの歌で「十」を一塊とするのは、もとより十指を念頭に置いてのこと。月齢を数えて、歳月を計算する。「月読」に用いられた日本語動詞のヨムは〝一つずつ順次数えあげてゆくのが原義。類義語カゾヘは指を折って計算する意〟(『岩波古語辞典 補訂版』)だと説かれるごとく、古代の人々にとって月の満ち欠けは、年月日を割り出す明徴であった。
さて、平安時代中期の類題和歌集である古今和歌六帖には、「三日月」という歌題のもと、次のような詠作が収められている。
㋑宵の間に出でて入りぬる三日月のわれても物を思ふ頃かな
㋺三日月のわれては人を思ふとも夜に二たびは出づる物かは
〔古今和歌六帖第一・天・三日月・三五三~三五四〕
前者㋑は、末の句を「われて物思ふ頃にもあるかな」と作る異なる歌句で、はやく古今和歌集巻第十九・雑体・誹諧歌のうちに収められている(歌番号は一〇五九)。この古今所収歌を本(もと)とする二首が、紀師匠曲水宴和歌に見える。
㋩三日月のわれのみをらむ物なれや花の瀬にこそ思ひ入りぬれ
〔紀師匠曲水宴和歌・一五「月入花灘暗、大江千里」(日本古典選『土佐日記』)〕
【詞書】紀貫之、曲水宴し侍ける時、月入花灘暗といふことをよみ侍ける 坂上是則
㋥花流す瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山の越方(をちかた)
〔新古今和歌集巻第二・春歌下・一五二/紀師匠曲水宴和歌・一八「月入花灘暗、坂上是則」〕
「曲水宴」とは、陰暦三月上巳(のち三日)、「曲水」すなわち庭園の曲がりくねった流れのほとりに所々座を設け、上流から流される酒盃が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠じ、盃をとりあげ酒を飲み、また、次へ盃を流しやる遊宴のこと。「紀師匠」は、㋥の詞書からわかるように、宴を主催した「紀貫之」をさすものと考えられている。酒宴にちなんで、㋩㋥の「三日月」には、酒を入れる「甕(みか)」「坏(つき)」も掛かっている。さらに、㋩の第二句「われのみをらむ」には、「割(=破)れのみ居らむ」とともに「我(独り)のみ/飲み居らむ」の意味をも汲んでよかろう。
さて、さきに掲げた㋑㋺の二首に話を戻すと、どちらもその趣向は〝三日月が片割れ月で「割れて」いる意に、心が「破(わ)れる」、すなわち心が砕けるほどに思い乱れ、悩む意を掛ける〟(古今和歌六帖全注釈 第一帖 第二版〔お茶の水女子大学E-bookサービス〕)点にある。㋺には以下のような、わかりよい現代語訳も備わっている。
【現代語訳】三日月が割れているように、心も砕けあの人のことを思っても、月は一夜に二度出るものだろうか、いや再びは出ない。そのように、決して二度とはあの人に逢えないだろう。〔前掲、古今和歌六帖全注釈第一帖 第二版〕
もっとも「三日月」が月齢を数える名詞であることを顧みれば、現代語訳では表わしえない、さらなる技巧も見出だされるかと思う。即ち「三日月」「人」「夜」「二たび」「出づる」と配された一連の用語を並べかえてみると、同音で《一(人)・二・三・四(夜)・五(出づ)》という(序)数詞が出そろっているではないか。「われて」の縁語としても、すこぶるふさわしいのである。
例えば、君恋しさに「心は千々に砕」けるけれど我が心の破片は「一つも失せ」ず(恋しさは募るばかり)と詠む、以下の和泉式部の作など、千と一との対比にとどまる。
◇君恋ふる心は千々に砕くれど一つも失せぬ物にぞありける
〔和泉式部集・九一/後拾遺和歌抄第十四・恋四・八〇一「題不知、和泉式部」〕
◇身は一つ心は千々に砕くればさまざま物の嘆かしきかな
〔和泉式部続集・六七/万代和歌集巻第十一・恋歌三・二三四一「題しらず、和泉式部」〕
だから「三日月のわれては」と詠み起こす㋺は、物象化した心の破片を一・二・三・四・五……と数えあげ(千々に砕け)る原因となる「われて」が修辞の要をなす、巧緻な一首だと把握しなければならない(西「「みかつき」のある情景―邂逅と陶酔のモチーフにかんする素描―」『愛媛国文研究』第71号[2021年12月])。㋑の異伝が古今「誹諧歌」の一首として採録されていることに照らせば、率直な詠みぶりにすぎないかと見えた㋺にも、技巧凝らした興味深い滑稽味が隠れていたのである。
琴を〝聞いて〟よむ―伊勢物語四十九段の贈答―
昔、男、いもうとのいとをかしげなるを見をりて、
【贈歌】うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ
と聞こえけり。返し、
【答歌】初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな〔伊勢物語四十九段〕
いわゆる定家本伊勢物語の四十九段に見える、異性のきょうだいが交わすこの贈答にも、注意すべき修辞が施されている。
古語「いもうと」は、年齢の上下に関わらず、男の側から見た姉妹を呼ぶ語である。周知のごとく源氏物語の作者は、この簡短な章段に登場する男女二人の設定を拡充し、細部にわたり肉づけしながら、あらたな作品世界を築きあげようとした。まず、紫の上と通称される少女を「若草」に喩える作中歌が配された若紫巻。次いで、光源氏が養女玉蔓(たまかづら)宛の手紙に「うちとけて寝も見ぬものを若草の……」という歌を書き贈る胡蝶巻。そして、四十九段の内容を描いたとおぼしき物語絵を持ち出す総角巻。とりわけ総角巻に描かれた一場面は、従来、伊勢物語研究の立場からも注目されてきた。
◇時雨いたくしてのどやかなる日、(匂宮ガ同腹ノ姉)女一宮の御方に参り給へれば、御前に人多くもさぶらはず、しめやかに御絵など御覧ずるほどなり。……在五が物語をかきて、いもうとにきん教へたる所の、「人の結ばむ」と言ひたるを見て……〔源氏物語総角〕
「在五が物語」という伊勢物語の異称とともに注意される、絵の「いもうとにきん教へたる所(図柄)」――伊勢物語四十九段の通行本文には見えぬ「きん(七絃琴)」が異本において「いとをかしききんをしらへけるをみて」「イトヲカシケナルキムヲシラフトテミヲリテ」などと作っているのは、後人によって注記されていた傍書が本文化した結果であり、「この傍書の源流は源氏物語総角巻在五が物語の条にある」と考える立場(福井貞助『伊勢物語生成論』有精堂[1965年4月]84~85頁参照)に、本稿も与する。
が、にもかかわらず、広く物語史の視座に立つとき、絃楽器全般を意味する「琴(こと)」は、やはり当初から四十九段の話柄に内在すべきものと考えられる。男の歌に耳を澄ませば、そこに「若草」のそれとともに「琴」の縁語もそれとなく配されていることに気づくであろう。
▷うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ
「若草」のように「うら若」い「いもうと」が他の「人」と縁をとり「結」ぶまでに生い育ったとの感慨を伝える試しに、男は、「末(うら)」に寄せた「うら(若み)」から、「寝よげ」に「若草」の「根(よげ)」とともに「音(よげ)」をも掛けながら、絃楽器「琴」の「緒」を「事を(しぞ思ふ)」にまで響かせ詠み繫いでいる。このような歌を「昔、男……と聞こえけり(耳ニ入レタ)」と叙述する言い回しも、「見をりて」と照応して男の謙譲を暗示するにとどまらず、むしろ「琴」の「音」に寄せた「言の葉」の声音に注目させる措辞なのである。
これに対して「いもうと」は、如才なく、以下のように「返し」詠む。
▷初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな
【私訳】初耳の、なんて珍しい言い草なの!
(今まで)無邪気に(あれこれ)思ってきたこと!
「若草」に応じた「初草」を初句に植えて「芽」から「めづらしき」を引き出し、「言(の葉)」には「琴」を、「(物)を」には「緒」を、それぞれ響かせながら、「初草」の縁で「葉」「裏」「末(うら)」へと伸ばしてゆく。自らに擬えられた、男が採りあげた「若草」の語を翻して、自分にとって男の言葉は初耳だとの意をこめた「初草」の語から切り返す「いもうと」は、贈歌に仕組まれた「琴」の修辞をも余すところなく聞き取って即応できるくらい、大人びて利口なのであった。
〝されて〟はよまず―源氏物語総角巻の女一宮―
一方、源氏物語総角巻においては、匂宮が、女一宮の観賞する「をかしげなる女絵ども」の中にこの四十九段の内容が描かれた画面を目にして、堪えきれず感懐を吐露する場面がある。
◇若草の寝見むものとは思はねど結ぼほれたる心地こそすれ
【私訳】(姉のあなたと)共寝してみようなんては思わないけれど
(やっぱりなんだか気になって)クサクサした気持がするなあ!
弟宮からのこんな唐突な言葉を耳にして怪訝に思った姉宮のほうは、黙座するばかり。
◇ことしもこそあれ、うたてあやし、と思せば、物も宣給はず、ことわりにて、「うらなくものを」と言ひたる姫君も、されて憎く思さる。〔源氏物語総角〕
彼女は内心、伊勢物語四十九段の男のありように触発されて近しく声をかけた弟匂宮のことだけでなく、四十九段の男に対して「『うらなくものを』と言ひたる姫君も、されて(気障デ)憎く思さる」、と象られていく(山口佳紀『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』三省堂[2018年2月]第八章参照)。
通説に「匂宮の心。」(新編日本古典文学全集⑤三〇五頁頭注二二など)と解されてきた副用語「ことわりにて」は、あるいは、女一宮の様子を描いていく地の文の途中に差し挟まれた草子地として、姉宮の反応に対する語り手の評言だと解する余地はないか。読み手に対して同調を求めようとする差出口だ、と解釈するのである。「物も(宣給はず)」、「姫君も(されて憎く思さる)」と、この前後に両度用いられた係助詞「も」のニュアンスにも見合うのではあるまいか。女一宮は、歌を詠み返すどころか身じろきもせず口「も」利かず、そして、弟が触発された四十九段の男だけでなく利口な姫君「も」小憎らしく思われる――。このような合いの手を入れた叙述はいわば、作中人物の描写を介して、語り手(ひいては作者)が四十九段に点描された「いもうと」の気転を的確に捉えた寸評だとも目されよう。
ちなみに「琴」は、作中人物の歌のほうではなく、地の文にある。姉弟が対座する一場面に小道具として持ち出された伊勢物語の絵、その図柄に描き込まれた絃楽器の「きん(七絃琴)」。かくして、「琴」が四十九段の話柄に欠かせぬ存在だと洞察している源氏物語作者の、手の込んだ描出に思いを致すのである(西「玉鬘十帖と伊勢物語四十九段―「いもうとむつび」の物語史―」『文学史研究』第29号[1988年12月]参照)。
伊勢物語において、草の根に琴の音(ね)をもより合わせた男に「うらなく物を思」うたと切り返す、聡明な「いもうと」。古今和歌六帖に収める、砕けた心の欠片を数えあげる数詞をちりばめて「三日月の(ように)われても物を思ふ」傷心を詠んだ誹諧歌。物思いを詠じたほんの二首の例歌を透してうかがえるのは、かなが駆使された平安時代の古典作品は何より、声を伴なって〝かなで〟よみとくべきものだという言語事実にほかならない。