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西耕生:オダマキと呼子鳥―室町期における『狭衣』受容の一節―

豊原統秋と三条西実隆
 楽書『體源抄(たいげんしょう)』の撰述で知られる豊原統秋(とよはらむねあき・1450年生)は、室町期を代表する楽人である。15歳過ぎから『源氏物語』など書き写し「腰折れ歌よみ」始めた彼は、45歳ごろ、5歳年下の三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に師事し和歌を学んだ。実隆は『伊勢物語』『土佐日記』の写本や『源氏物語』の書写校合により青表紙証本を遺すなど、古典研究に尽力した当代随一の歌人・学者であった。実隆自撰の日次(ひなみ)詠草集『再昌草』には、統秋との師弟関係にまつわる詠作も収められている。
 大永四年(1524) 正月八日、70歳になる実隆が統秋の書き初めの十首に佳作の印(合点)を附しつつ添えた一首「雲の上に古りにし道を笛竹の聞こえ上げける名こそ高けれ」――楽道師範を拝命し前年末には後柏原天皇に笙の灌頂伝授をして「老の効(おいのかひ)」に喜んだ統秋への返歌として、古来宮中(雲の上)に仕え伝えてきた楽道(笛竹)の名声をとりあげその栄誉を称揚している。
 が、同年八月二十日、統秋は75歳で亡くなる。「ふたなぬか (二七日)」にあたる九月三日、故人を偲び実隆は「めうほうれむけきやう(妙法蓮華経)」のかな十文字を歌頭に置いた哀悼歌十首を詠んだ。その第三首「法花経に契り結べるかひありて必ず長き闇を越らん」〝法華経に結縁した信仰の効験あって、きっと無明長夜の迷いを脱し悟りを得ていよう〟――『體源抄』各巻の奥にも「南無妙法蓮華経」と記すほど、統秋は熱烈な日蓮宗信者であった。

オダマキを詠んだ統秋の歌
 さて、「歌道が、楽・仏の道と一如の実践である」(伊藤敬『室町時代和歌史論』新典社研究叢書)統秋の自撰家集『松下抄』に、オダマキという木を詠みこんだ歌が二首見える。
 その第一、「谷ふかみさびしくもあるかよぶこ鳥たつをだまきも霞こめつヽ」〝谷が深いので(なんと)寂しいことか、呼子鳥よ、立つオダマキも霞が立ちこめ続け(見えない)〟――この一首は、歌題「谷中喚子鳥」に即し春愁を詠むべく配された歌句、「谷深み」「立つをだまき(も)」から、平安後期の物語『狭衣』作中歌の本歌取りであることがわかる。
 聳え立つオダマキは、物語の主人公にとって求法の象徴であるとともに、朽ちやまぬ煩悩の表象でもあった。「谷深ミ立つおだまきハ我なれや思ふこヽろの朽ちでやミぬる」(伝慈鎮筆本『狭衣』巻三に拠る)――恋煩いの「我」を、深い谷底より生い立つオダマキに擬える狭衣大将。その孤愁を、統秋は、共説を意味する係助詞「も」を用いて一層研ぎ澄ませる。『狭衣』の主人公が見立てたあのオダマキ「も」立ちこめる霞で見えず、呼子鳥の声に寂しさもひとしお身にしみる、と詠みなしたのである。
 その第二、深山の庵で夕霧の立ちこめる秋空に臨んだ「たれか来ん立つおだまきも色消ゆる深山の庵の夕霧の空」も、同工同趣であろう。

『狭衣』を踏まえた実隆の歌
 実隆にも『狭衣』のオダマキを踏まえた作がある。歌題「谷鹿」に即して詠んだ「谷の戸は道も続かでさをしか(狭牡鹿)の立つをだまきの陰ぞ寂しき」(『雪玉集』)がそれである。そしてオダマキをとりまく〈谷の戸‐狭牡鹿‐寂し〉にも、周到な作意がこもる。実隆は、「深山里の寂しさは、げに狭牡鹿の跡よりほかの通ひ路無かりければ、いとヾ夜のほどに閉ぢ重ねたる氷の楔は、踏み砕かるヽ足もいみじく耐えがたく……」(伝慈鎮筆本)と始まる『狭衣』巻三発端の要語を採り集め、『千載和歌集』秋歌下の「寂しさを何にたとへん牡鹿鳴く深山の里の明け方の空」(惟宗広言)など先例としつつ、冬景色に心情を重ね描きする物語の情景を、この一首に凝縮して見せたのであった。

深心をうながす呼子鳥
 『狭衣』の世界を巧みに結晶化した師に対し、統秋も趣向を凝らしている。呼子鳥との取合せである。その実体は不明ながらこの鳥は、『古今和歌集』春歌上の「をちこち(遠近)のたづき(方便)も知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな」に拠り、「山中に」鳴くことから人知れず苦悩する恋のほか、釈教歌にも詠みこまれた。特に注目すべきは、「呼子鳥うき世の人を誘ひ出でよ入於深山思惟仏道」(藤原良経『秋篠月清集』釈教部)――下句に『法華経』序品の経文を据えた作例の存在である。呼子鳥の声が、恋の切実のみならず、仏道帰依の契機としても認識されている。
 ここに、呼子鳥を取り合わせた統秋の深意も理会されよう。凍え立つオダマキの孤絶に観じ「思ふ心の朽ちで(朽チズ)」止んでしまう行く末を憂えた狭衣大将の胸中に分け入って、あらたに呼子鳥に問いかける春歌に仕立てたのである。統秋には、「晴れず思ふ心の闇の呼子鳥昼も霞のうちに鳴くなり」(『松下抄』)といった作もある。「心の闇」とは、煩悩に迷う心。〝煩悩即菩提〟――統秋はあたかも狭衣大将の知音のごとくであった。
 〔初出:令和3年8月1日「へんろ」第449号(発行所/伊予鉄不動産株式会社)。なお、再掲に際して論旨に若干の修正を施した。〕

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