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中根隆行:お四国なさる―旅と遍路の近代

 大正期のある頃から四国遍路に関連する語が旅行雑誌を中心に目立つようになる。いや、旅行雑誌じたいが増え、遍路の記事も次第に目につくようになるといったほうが正確だろう。近代ツーリズムは確かに明治期に始まるといえるが、一般の観光旅行が本格化するのはこの時代である。旅行雑誌ばかりではないが、四国遍路について綴られた文章のなかには小説や詩歌のかたちをとるものも少なくはない。たとえば、「どんな願ひごとがあつて、お四国なさる」「別に、これといふ願いごともございませんが……」という掛け合いから始まる『婦人公論』に連載された下村千秋の小説『遍路行』(1931年)も、ところどころに四国遍路の紹介が加わる紀行文としても面白く、この時期ならではの印象が強い。
 下村千秋は志賀直哉を師と仰ぐ土浦出身の作家で、同伴者作家としてルンペン文学の先駆者となった人物である。純一という孤独を抱える主人公と四国遍路との結びつきも興味深い。のちに下村千秋は「都会人近代人の誰もがかかつている神経衰弱などは遍路に依つて直せさうに私は思つてゐる」と述べてもいる(「四国遍路礼讃」『旅』1937年3月)。下村千秋は1919年頃に我孫子の志賀宅を訪ね、その後に四国遍路の途についている。
 志賀直哉といえば『暗夜行路』、そのなかに時任謙作が琴平を訪れる場面がある。そこには、金刀比羅宮の社務所の近くで、檻のなかの熊に杖でちょっかいを出す「四国へんどうの連中」の姿が活写されている。ただ、これは草稿での話であって、決定稿では削除される。採用されたのは金刀比羅宮博物館でのエピソードであった。お遍路さんのイメージも、おそらくこのように、四国を訪れた旅行者が出会ったワンショットとして徐々に前景化されていったのだろう。志賀直哉が琴平を訪れたのは尾道時代、『暗夜行路』を起稿してまもなくの1913年のことである。
 そもそも日本の文学には、旅の目印としての歌枕、俳枕が数多あり、定住する場をもつ旅人が詩歌に詠まれた場所をめぐるというように、旅による移動と親和性が高い。日記文学から道行文に道中記、近代になると田山花袋が先駆けた紀行文と、ジャンルや歴史性の違いこそあれ、古来、旅と文学は密接な関係にあった。その旅のありようのひとつとして大正期における遍路を考えてみよう。まず挙げなければならないのは、のちに女性史研究で知られる高群逸枝の『娘巡礼記』(1979年)である。24歳の女性が1918年に熊本・専念寺を出発し、豊後水道を渡って逆打ちで結願する四国遍路の旅は、『九州日日新聞』に連載された計105回に及ぶルポルタージュとして注目され、熊本県下で大好評を博した。
 また、遍路の俳人と呼ぶにふさわしい荻原井泉水がいる。戦前の学校教材でもあったエッセイ「お遍路さん」でも知られる。「お遍路さんの国に来ました。その多くは女の脚で四国八十八カ所の寺々を遍路するといふ事は、如何に信仰の為めとは云へ、大抵の事ではありません。で、四国一円を廻る代りに、小豆島の八十八ヶ寺を廻れば、同じ功徳を得られるといふ事になつてゐて、之を『島四国』といひます」(『俳壇十年』1922年)。これは小豆島に滞在した折りの随筆だが、荻原井泉水は1924年、実際に西国三十三ヶ所に次いで小豆島八十八ヶ所の遍路を行っている。種田山頭火も強い影響を受けたに違いない。
 高群逸枝や荻原井泉水、はたまた下村千秋も、故あっての「本四国」「島四国」であり、のちに四国遍路に関する多くの文章を綴ることになる。彼/彼女らの実際の遍路は大正期であり、まさに観光旅行の季節が到来する時期に重なっている。柳田國男は『明治大正史 世相篇』(1931年)において「巡礼は日本では面白い形に発達して居る」と書いている。これは交通網の整備と観光旅行の一般化によって、巡礼も大衆化しているというほどの意味である。ただ、旅についてはこうも語っている。「タビといふ日本語は或はタマハルと語原が一つで、人の給与をあてにしてあるく点が、物貰ひなどと一つであつたのでは無いかと思はれる。英語などのジャーネーは「其日暮らし」といふことであり、トラベルは仏蘭西語の労苦といふ字と、もと一つの言葉らしい」と。「旅はういものつらいものであつた」(以上、柳田國男「旅行の進歩及び退歩」1927年)という言葉が意味をもつのは、かつての旅を憶う懐旧の情を踏まえたものであったからである。大正期の四国遍路の旅は、信仰なのか観光であるのか、それとも祈りの旅なのか願いの旅であったのか。それは「お四国なさる?」と呼びかけられるお遍路さんによって異なるだろう。ただ、人伝に聞くだけでなく、活字から四国遍路に触れ、旅行者としてお遍路さんに出会う時代が到来していたことは確かである。

*このウェブエッセイは、「四国遍路と世界の巡礼~愛大研究センター通信~」(月刊「へんろ」の第453号、伊予鉄不動産株式会社、2021年12月1日)に掲載された文章を再録したものである。

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